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おまいり

TOP > 南御堂メニュー > 教えをきく > もしもし相談 > もしもし相談(2007年5月)

もしもし相談

問:月参りは命日過ぎるとダメ?
私は現在、夫と義母との3人暮らしです。圃夫婦共働きのため、お寺の住職さんがお参りに来られる亡き義父の命日には、毎月、義母が応対していました。ところが半年前に義母が入院したため、お参りの日には、私が仕事を休んで住職さんの応対をしてきました。しかし、3カ月前から急に仕事が忙しくなり休みづらくなったため、毎月のお参りを命日の前後の土曜か日曜の休暇日に変更してもらっています。しかし、私の都合で日をずらすことが、何か亡き義父の命日を軽く扱っているようで気にもしています。やはり毎月の月参りを、自分の都合に合わせてずらしたり、命日を過ぎてから勤めたりするということはダメなのでしょうか。(京都市・52歳・主婦)

答:都合によりずらしたとしてもその日を忘れさえしなければ
ご相談の件ですが、お姑さんが入院されたことによって、職場と家庭との両方の生活のリズムが乱れ、とても大変なことと拝察いた
します。それと同時に、こころのバランスを失い、いろいろな事が気になりはじめ、じっとしておれないような不安な気持ちになっておられるのだと思います。こんな時には、不安な気持ちを引き起こす原因をつきとめ、物事の本質を今一度しっかりと問い尋ねてみることが大事です。故人の亡くなった日を命日と言います。それから、命日を迎える前夜のことを逮夜と言います。したがって、月毎の命日
や逮夜の日に、ご住職にお参りに来ていただくことを月忌参り、もしくは逮夜参りと言います。その日は、お内仏の掃除をしたり新しい花を供えたりして、ご住職をお迎えして家族の者が仏前に座らせていただくことが大切です。とても悲しいことですが、私たちはお互
いに、やがて死んで行かねばならない身を、今ここに生きているのです。誰一人として死を免れることが出来ません。それ故に、その死を自分自身のこととしてしっかりと引き受けることが出来たところから、改めてどのように生きて行くのかがはっきりとしてくるのです。お内仏は、生の依るところ死の帰するところを、如実に指し示してくれている場所です。そういう意味において、仏前というのは本当に生きることが始まる場所と言っても決して過言ではありません。この限られた人生を、どのような態度で、どのような心構えをもって生きるべきなのか、そのことがはっきりしないことから、さまざまな心の迷いが生じてくるのです。亡き人を偲ぶということは、その日を機縁として人生の依りどころたる阿弥陀如来の浄土に目を開かせていただくということです。機縁とは、きっかけということであり、物事を始めるための手がかりということですから、その日を忘れさえしなければ、さまざまな都合により命日や逮夜日のお参りを、その日の前後
にずらしたとしても、何ら差障りはありません。(新田修己)

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