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おまいり

TOP > 南御堂メニュー > 教えをきく > もしもし相談 > もしもし相談(2007年7月)

もしもし相談

問:お骨を側に置いておきたい・・・
今年の春に交通事故で娘を亡くしました。毎日、お仏壇に向かって手を合わせているの
ですが、そのたびに娘のことを思い出し、いまだに悲しくて仕方がありません。夫とも相談し、心の整理をつけるためにも、今度の四十九日(満中陰)を機にお骨をお墓へ納骨することに決めました。お寺さんからも四十九日を迎えた後に納骨するのが本来だと言われていましたので…。しかし、決心した途端、娘がお墓に行ってしまい、私たちのぞばから完全にいなくなるように思えてきて、より一層寂しさが増してきます。できることなら、少しでも心に整理がつくまでは、お骨を家族のそばに置いておきたいのですが、いつまでもお仏壇に安置していてはいけないのでしょうか。(滋賀県.37歳・主婦)

答:長く置いて悪い事はないが中陰後は本尊仰ぎお導きを
不慮の事故によるご不幸、さぞかしお悲しみのことと察し上げます。そのお悲しみの余り、お骨との別れにお迷いのお尋ねです。少
しでも心の整理がついてからと思われているようですが、命に関わるこの厳粛な悲しみばかりは、私たちの迷いの心で整理のつくものではないと思います。長く置いて悪いという事ではありませんが、お寺さん(ご住職さん)の仰せ通りに満中陰後に納骨されて、その後に、この度のお悲しみの受け取り方(整理)について、真の仏法に問い重ね、聞き重ねていただきたいと思います。答えが早や終わったようですが念の為に。亡き人のお骨は、中陰中はお内仏前の中陰壇に安置します。お骨には、俗に言うのどぼとけ」(本骨)と[胴骨」の2つがあります。所による風習の違いでしょうか、胴骨の方は骨上げの後にお墓に納められるなど様々です。本骨について私は、満中陰後にせいぜい早く、京都・東本願寺(真宗本廟)の須弥壇収骨に、または東大谷(大谷祖廟)へ、京都は遠いと言われ
る時は、南御堂(難波別院)へ納骨してくださいと勧めています。そんなことで問題は、いずれにしてもお骨との名残りが切れないことのようです。それは世間の声が、参ってあげなさい、供えてあげなさい、生きておられる如くにしてあげなさいと、人間の情を尽くす事が仏教のように言われるせいだと思います。しかし、悲しいことに、もう何もしてあげようがないのです。気休めに終わられることなく、こちらが大切なことに気づき、導かれて受けとるべきことがある筈です。納骨はその為です。お釈迦さまの教えも死んだ人へのものでなく、悲しみに遇いながら生きていく人の為の生き方の教えです。様々な人生の苦難に遇うことを縁として、仏法を聞き、目覚めの方向へと歩む人生にしてほしいという仏の願いをかけられた命を、みんなが生きているのです。「攣(こい)しくば南無阿弥陀仏を称うべし我も六字の内にこそ住め」と詠まれた歌があります。どうか中陰後はお内仏のご本尊を仰がれ、お導きを受け、お念仏が申せるお母さんになってくださるようにと念じます。(藤園堅正)

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