浄土真宗では、聴聞という言葉を大切にしている。言葉の成り立ちを辞典に引くと、「聴」くとは一生懸命にききいることのようで、「聞」くとは無意識にきこえてくることのようである。
さて自分は、どういうききかたをしているのだろうか。家や外では、自分に都合の悪いことは、きかないふりをしている。しかし、自分への悪口などは、耳をそばだててきいている。その時その時、自分の都合にあわせてきいている。
仏の教えにきくとは、身の事実をきくのである。仏法をきいて、賢くなるのでない。どうしてみようもない自分に気づかせていただくのである。おまかせしていくしかない自分に出会うのである。
聴けば聴くほど おまかせ以外 仕方のない私がわかってくる〜 鈴木章子 〜
05.02
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