平川克美 考えすぎても、いいじゃない第2回:共感の危うさ【連載コラム】

 六十年来の友人の内田樹とは、小学生の時に出会っている。小学校五年生の半ばに、私のいる小学校へ彼が転校してきたのである。自由闊達な内田くんと、奔放気ままな私は、クラスのあらゆる混乱の原因となった。担任の先生は、思慮して彼を私の隣の席に座らせた。爾来、彼との友情が六十年以上続いている。しかし内田くんと私はお互いに、共感で結びついているとは思っていない。むしろ、共感性に最も乏しかったのが内田くんであり、それは彼も同じだったと思う。私たちは、共感とは別の何かで結びついていた。
 先だって、二人で共同で講演してくれないかと、くだんの小学校からご依頼があった。六年生の授業の一環として、二人の話を生徒に聴かせてやってほしいというのである。この時、中学生以上が対象なら、二人とも何度か講演に出向いたことはあるが、さすがに小学生には私たちの言葉は届くのだろうかと不安があって、少し躊躇した。しかし、子どもの頃、二人の爺さんが饅頭を食べながら、政治家を諌めたり、世を嘆いたりする『時事放談』なる番組があって、私たちは内容もよくわからないまま、面白がって観ていたことを思い出し、お受けすることにした。後日、嬉しい感想文の束が二人の元に届けられた。私たちは別に、小学生向けに話題のハードルを下げることなどとはしなかったが、それでも届くものは届くのである。その時のテーマは、共感性をもとに、共同体を作るべきではないというかなり難しそうな題目だった。
 このイベントの少し前に、お互いがお互いをよく知らないから、僕たちはかくも永い間、付き合うことができたのであり、お互いに共感できるところがないからこそ、惹きつけられたのかもしれないという話をした。ちょっと、逆説めいた言い方に聞こえるかもしれないが、これは本当のことである。僕たちはお互いに共感するところがないので、一緒に旅行に行ったり、映画を見たり、悩み事を相談するなんてことはなかった。
 母校の小学生に対するメッセージとして、私たちが生徒諸君に送った言葉は、人生で大切なことは、よき友に巡り会うことであると言うことだった。それがどれほど大きなことであるかわかるのはずっと後になってからだろう。そして、その友と出会うのはいつなのか。今がその時だ。しかし、もし友情は共感によって生まれると考えているのなら、それはちょっと違う。私たちは、自分で自分にさえ共感できないこともある。昔面白いと思った映画が、後に、何であんなものを面白いと思ったのだろうなんていうことはよくあることだ。共感は、一時的な共同性に過ぎない。だから、町内会のサークルであれ、政治結社であれ、共感をベースに作られたコミュニティは、時間とともに色褪せてゆく。共感のさらに危ういところは、共感できないものを排除することでしか、共感の共同体を強化することができないということである。
 さて、内田くんと私の間にあったのは、いったい何だったのだろう。共感とは違う何かと書いた。一言でそれを言うなら、信頼だったと思う。そこに何の根拠もないけれど、この人は約束を守る人だと思えること。いや、何よりも相手に対する興味が尽きないこと。だから遊んでいて楽しかった。それだけでいい。

(2026.02.01南御堂新聞 763号掲載)

 

〈著者〉 平川 克美                 

ひらかわ・かつみ/1950年東京生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。著書に『「答えは出さない」という見識』など。