平川克美 考えすぎても、いいじゃない第3回:妥協【連載コラム】

一般に、妥協という言葉はあまり良い意味では使われない。政治の世界では、己の主張を曲げて、中途半端な決定に至ったような場合には、妥協の産物などとおとしめられる。誰だって、本当は妥協などしたくはない。しかし、現実には己の思う通りいくことなどは、滅多にあるものではない。
そこに他者がいる限り、そして、他者が自分とは異なる嗜好の持ち主である限り、自分の思い通りにことが進むなどということは、奇跡でもない限り、起こり得ないことである。
2000年に入り、インターネットの商用化が進んで、ビジネスの世界においては「合理的選択理論」を背景にした「戦略的思考」がもてはやされた。私は、およそ人間のやることは訳のわからないことばかりで、人は必ずしも合理的選択などするわけではないと思っていたので、当時の戦略的ビジネス理論には懐疑的にならざるを得なかった。しかし、戦略的思考は私が教えていた大学院においても、ビジネスの現場においても、利潤を生み出す魔法の呪文でもあるかのように流通し始めていた。
私は、他者を攻略するテクニックばかりを強調する風潮に、反発を覚えた。そもそも「合理的選択理論」などというものは、こちらを押せばあちらが引っ込むというようなリニアな人間観に基づいた、稚拙で間違った考え方だと思っていた。
なるほど他者は、自分とは違う。しかし、どのような現場においても、他者と共に働き、他者と共同して考え、他者の力を借りながら現実を前に進めてゆかなくてはならない。そのために必要なことは、他者を攻略する戦略なんかではない。そうではなく、他者と反発したり、妥協したりしながら共生してゆくことが大切なことである。そして、そのために必要なことは、「やりくり」と、「折り合い」と、「擦り合わせ」なのだ。
何事も理想通りにはいかない。手持ちのリソースをどうにかやりくりしながらやっていく。現場、現物、現実から出発しなければならない。トヨタやホンダの徹底した現場主義である「三現主義」とは、まさにやりくりのすすめである。「ありものを使う」とは文化人類学者クロード・レヴィ・ストロースが言うところのブリコラージュ(職人仕事)の要諦だが、元々資源も資金も乏しい町工場で育った私には、慣れ親しんだ、当たり前の考え方だった。
そして、必ずしも思い通りには動いてくれない機械と折り合いをつけながら作業をする。自分と異なる他者と折り合いをつけながら物事を前に進める。それでも、どうしてもうまくいかなければ、お互いの違いを擦り合わせて、妥協点を探り当ててゆく。妥協とは、知恵を持つ人間だからそこできる芸当なのである。
(2026.03.01南御堂新聞 764号掲載)

〈著者〉 平川 克美
ひらかわ・かつみ/1950年東京生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。著書に『「答えは出さない」という見識』など。



