平川克美 考えすぎても、いいじゃない第1回:潮時【連載コラム】

ノンフィクション作家の沢木耕太郎が、地球の大きさを体験するために、バスを乗り継ぎながらユーラシアの西の果てまでの旅に出たとき、彼は26歳だった。その体験を綴った『深夜特急』を、私は貪るように読んだ。私だけではない。時は1974年。
私は、3年遅れで、無為徒食の生活に終止符を打ち、友人と渋谷道玄坂で翻訳の会社を立ち上げた。27歳だった。沢木がユーラシアの冒険旅行を始めたのとほぼ同じ年齢である。人の生涯において、まだ、何者でもない、世間や生活というものを知らない、匿名の「馬の骨」が、自分に何ができて、何ができないのか試してみたいと思うことがあるとすれば、それがこのときだった。
順調な人生街道から外れたものは、旅に出たり、自ら事業を始めたりする。あるものはアパートを借りて恋人と同棲生活を始めたりする。よくあることだ。ある意味では、沢木も私も、そして惚れた女と陋巷の生活を始めたものも、負け犬だった。真っ当な人生街道から逃げ出した負け犬にとっては、自分を証明する何かが必要だったのかもしれない。
人は、与えられたコースから外れて何か新しいことを始めるのは、難しいと思うかもしれない。だが、安定した生活を断念する勇気と無鉄砲な行動力、そして何とかなるさと
いう能天気な性格さえあれば、それはさほど難しいことではない。
これは、半世紀後に、私が自分の人生を振り返った時の感慨である。私は、自分で始めた会社を30年近く続けた。会社は、思いがけず順調に拡大を続けたが、自分はこんなことをするために生きてきたのではないんじゃないかという疑問が胸中に膨らんで、ある日、ほっぽり出すように社長を辞してしまった。数年後に私の下で働いていた数十名の社員たちも会社をやめてしまい、仲間は散り散りになった。私は潮時を見誤ったのかもしれない。
ユーラシアの旅に出た沢木耕太郎も、その長い旅をどう終わらせたら良いのかと思案していた。『深夜特急』に書かれた次の文章は、この長い旅行記の中で私が最も心打たれた箇所である。
「ポルトガルの果ての岬のサグレスには、三日滞在しただけでパリに向かった。もっと長く居たいという気持は強かったが、もしここでぐずぐずしているとまた考えが変わってしまうかもしれないとも思った。私はようやく摑まえた旅の終わりの汐どきを失うのを恐れたのだ」
潮時を知る。始めた何かを終わらせるには、それが必要だったのだ。しかし、潮時は、事前にここが潮時だと分かるようなものではないだろう。実際に潮時に出会ったとしても、その時はそれが何なのか、何を意味しているのかよく分からない。おそらく潮時というものは、事後に、「ああ、あの時が潮時だったのだな」と思い当たる。何かを終わらせる難しさは、誰もこの潮時を事前に知ることなどできないというところにあるのかもしれない。
マカオの船上賭博から始まる沢木耕太郎の旅は、まさに潮目を読み、潮時を知るまで続いた。私が、後年親鸞の「機縁」という言葉に出会ったとき、瞬時に分かったと思えたのは、私が長い間、潮目について考えてきたらからだろう。潮目の前では、自分の意思などなんの力も持ち得ないのだ。
(2026.01.01南御堂新聞 762号掲載)
〈著者〉

ひらかわ・かつみ/1950年東京生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。著書に『「答えは出さない」という見識』など。



