福井の民話に「吉崎の嫁脅し」という話がある。
ある家に熱心に吉崎御坊(お寺)へ通う嫁がいた。
それを快く思わない姑が、聞法をやめさせようと、その帰り道に鬼の面をかぶって嫁を脅すのだが、どうしたことか鬼の面が取れなくなってしまった。
嫁と姑は二人で吉崎に出かけ、阿弥陀様に手を合わせると面がはずれ、以後一緒に聞法に励んだそうである。
聞法する時間があるならその分働いて稼げという姑の思い。効率よく、成果を上げることばかり求める現代人の考えと同じである。私達も姑と同じである。
仏智に照らされ、鬼のような私であったと知らされ、愚かな私であったと深く自覚するところに人生の確かな歩みが始まるのではないだろうか。(み)
教えるとは、教わる事なり。教えて、我に悟りを開き教えたものに感謝を抱きけり。