故・東井義雄氏はこの言葉に愕然としたという。どうしても自分の茶碗の模様が思い出せなかったからだ。そこで「毎日キスしながら粗末な出会いをやっとるんです」と反省された。
思えば日々、私たちは想像を絶する量の深く、広い出遇いをし続けている。服も、椅子も、また駅や道でのすれ違いも、必ずそれを用意くださったどこかの誰かに繋がっている。だのに私たちはうっかり「自分のもの・他人のもの」と分けて生きる。これを自力の分別という。
今まで「当たり前」としていた物事の深く広い背景に触れた時、何気ないそれらが輝いて見えてくる。それを他力という。自力では人生は啓かれない。
毎日食べている ご飯の茶碗の 模様が言えますか~長谷川富三郎~
08.01
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