諺に「疑心悪鬼を生ず」とありますが、自分の心に疑いが起こる時、自分の周りを悪い鬼として生み出していくという譬えです。みんな幸せを求めて生きていますが、その幸せの尺度は、他の人と自分とを比べて判断しているのです。物をたくさん持っているけれども、誰かに足元をすくわれるのではないかと戦々恐々とし、却って幸せとはほど遠い生活になっているのではないでしょうか。
「疑心」とは、仏教から出た言葉で、根本煩悩(煩い悩ませる)の一つであり、真理をうたがうということです。この私を、真実の道に歩ませようとする教えを疑うことなのです。如来を生むとは、疑わない心ではなく、疑いようのない真実に出会い、自分の中に信の心が生まれてくる縁となることなのでしょう。
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