他人の過失は 見やすいけれども 自己の過失は見がたい ~釈尊~
私はよく人を疑う。先日、窓ガラスにひび割れを見つけた時もそうだった。誰かが何かをぶつけたのだと飼い猫までを疑う始末である。しかし、よくよく思い返すと、草刈機の飛び石が何よりも疑わしく、どうやら私が犯人だったらしい。それでも、なかなか過ちを認められない。
釈尊は「他人の過失は、もみ殻のように細部まで暴き、非難し、世間に知らせようとする」と、人のありさまを言い当てている。
人を疑うなら、その何倍も自らを省みるべきだろうが、実際はその逆である。どこまでも自身を正当化し、非を認めず、他に転嫁しようとする私の姿を知らされ、ただただ頭がさがるばかりである。
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