癌になったことが有難い?

もしもし相談2015年8月 私が看護師の実習をしていた時のことです。ある癌患者の方を担当しました。色々話をしていると、その方は癌になったことをありがたいことだと言って「ナマンダブ」と手を合わせていました。実習が終わりその方とはそれっきりですが、なぜそんなふうに思えるのか今でも不思議に思います。私だったら癌が転移しているかもとか、死ぬかもしれないと考えて不安になったと思います。どうしてありがたいなんて思えるのでしょうか。(23歳・女性)

 私たちは、病気は悪い(不幸)、健康は善い(幸せ)と思っていますから、看護されていた方が、病気(ガン)がありがたいといわれますとびっくりしますね。普通は、病気はありがたいとはいえません。
お釈迦さまは、病気は人間にとって避けられない大きな苦しみの一つだと説かれています。病気そのものが苦しみであり、また、病気が私たちを苦しめます。この苦しみはどうすれば超えていけるのか。お釈迦さまは、深い瞑想と思索から仏の道を明らかにされました。
大谷大学元学長の正親含英先生の著書『眞宗讀本』の中に「ある老女が、読経の声を聞きながら、ああ有難い、勿体ないともうすのをききとがめて、あのような難しいお経が解るのかと問うと、いえ、何もわかりませぬ。ただ救うぞ救うぞと聞こえますと、答えた」という話が紹介されていました。この老女は、お経(仏さまの教え)を、頭だけできくのではなくて、感情と身をもってきいてこられた結果、阿弥陀さまの救うぞの声が届いて、何ごとも有難い、勿体ないとおっしゃられるようになられたのでしょう。
気の小さな者は、気の小さいままでよい。太っ腹の人もそれでよい。身体の丈夫なのもよい。身体が弱くてもそれはそれでよい。気だてのやさしいのはよい。怒りぽくてもよい。スポーツがよく出来るのはすばらしい。出来なくてもよい。勉強できるのはよい。出来なくてもよい。仕事をテキパキとするのはよい。グズでもよい。老女に救うぞ救うぞときこえてきた中味は、これが善くて、あれは悪いんだということはなく、みんないいんだという世界です。排除と否定のない世界です。
お釈迦さまや親鸞聖人は、私たちは念仏してがんばりましょうとおっしゃられました。念仏は、阿弥陀さまが、いろいろと煩い悩む私たちが、自然に無理なく生きていく為にもたせて下さった行です。看護された方が、ガンが有難いといわれたのは、念仏を申す日ぐらしをなさってこられたからでしょう。念仏しているなかで、病気はあなたを苦しめる敵ではない。病気もあなたなのですとの声が響いてきたのでしょう。この身はすべて自分なのだ。病気であろうがなかろうが、有難いものと思うようになられたのでしょう。
病気(ガン)が有難いといわれる、今ひとつ理由があると思います。これまで病人の気持が理解できていなかったが、自分が病人になって病人の気持ちがわかるようになったこと。そしてこれまで受けた他人(ひと)さまからの好意や親切に気づかされたこと。それで病気が有難い、尊いものだと思われるようになって、ガンは有難いといわれたのでしょう。
あなたは看護師のスタートのところで、病気というものを考えさせてもらえた、よき患者に出会われたと思います。お釈迦さまは、よき看護人は慈しみの心で接するといわれています。患者が心を寄せられる素晴らしい看護師になられることを念じています。
(寺林 惇)

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