神社とお寺の違いが分からない
問 最近、友人に誘われて古い神社仏閣巡りをしています。色んな所を巡ってきたのですが、神社とお寺の違いが今ひとつわかりません。鳥居があるのが神社で、お墓があるのがお寺というのはわかりますが、それぞれ何をしているのですか。
私の友人によると、神社はお祓いをしてもらうところで、お寺は修行をするところだそうですが、本当ですか。お寺って何をする処なのですか。(60歳・男性)
答 お話しによりますと、ご友人と「古い神社仏閣巡り」をなさっておられるとのこと、情報社会と言われます現在にあって、実際に身を運び、文物を通して、肌で感じる日本の歴史探訪。大変魅力のある営みですね。時代や地域の異なる人たちの生活の様子や苦労を垣間見ることがわずかでもできた時、何かしみじみと心に残るものを感じるものですね。
お尋ねは、「神社やお寺が、それぞれ何をするところなのか」と理解させていただきました上で、今回はひとまず「それぞれがどのような願いによって、成り立っているのか」をお答えしたいと思います。と、申しましても、これまでにたくさんの神社をまわられたならば、もうすでにご存じでしょうが。
まず「神社」は、様々な神話と結びつき「海の神」「武の神」「縁の神」など、様々な「祭神」を祀っていますね。その背景には、実は人が、生きる上での「畏れ」が根底にあるように思います。そこから、「病気の平癒」「家内安全」と言った、日常的人間にとっての「幸福の追求」が、実は「神社」を成り立たせているのではないでしょうか。生活にあくせくする者にとっては、ある意味では、ありがたいものでしょう。
次に「お寺」ですが、日本の歴史の中で「神仏混淆」の形をとった所はさて置き、本来「お寺」は、「本尊」を通して、「お釈迦様の教えを伝えようとしている場所」と言えるのではないでしょうか。その「お釈迦様の教え」とは、さまざまな言葉で伝えられていますが、根本的には、私たちに対して「自分は、一体何者であるのか」を問いかけて下さるものです。
これらをたとえば先程の「幸福の追求」という、私たちの素朴な願いに当てはめてみましょう。もし人が「自分達には、子供がいない。子供さえいれば、もっと幸せであるのに」あるいは「安心して住める家がない、自分の家さえあれば幸せなのだが」と考えた、いや実際にそういう思いを抱きながら生きているのが私たち人間ですね。しかしこの思いは、本当に確かなものでしょうか。子供を持ち、かえって悩みが増える、家を持ち、かえって人生の負担が増す、ということはないでしょうか。お釈迦様は、この私たちの在り様を「有無同憂」(有ればあったで憂い、また無ければ無いで同じく憂うること ※出典『仏説無量寿経』)と言い当てておられます。
したがって、「神社」は、「祈り」を捧げる場であり、「お寺」は、自分を省みる場と言えるのではないでしょうか。(山口 知丈)
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