独り暮らしの友人にアドバイスを
問 独り暮らしをしている友人がいます。奥様を5年前に亡くされ、娘さんと息子さんは遠方で就職、結婚し、マイホームを建て住んでいるそうです。こちらで一緒に住むつもりはないようで、ここ数年はどちらも実家に帰ってこないそうです。「毎日が寂しくて仕方がない。どうしてこんな事になったのか」と、いつも愚痴を聞かされます。何か元気が出るアドバイスをしてあげたいのですが、どうしたらいいでしょうか。(69歳・男性)
答 奥様に先立たれお子達もそれぞれ独立され、独り暮らしとなられたご友人の境遇、お寂しいこととお察しいたします。友人のことながら、お互いに年寄れば少なからず他人ごとではないことでお尋ねかと存じます。
お経に「人、世間愛欲の中にありて、独生独死独去独来す」と説かれますが、年と共に現実の境遇をもって身に思い知らされてきます。だからこそ、そういう身が真に依るべきものは何であるかが厳しく問われてくるのでありましょう。
お子達が帰ってきてくれないと言っても、それぞれ自分の生活に追われ、親の事が気にはなっていてもなかなか余裕もなく、親もまだ元気ということでつい疎遠になっているのでないでしょうか。子どもといえど、思い通りにはならず、真底当てになるものではないようです。それぞれ元気でしっかりやってくれていれば何よりのことと思います。
仏様は「当てにならんものを当てにしておれば、必ず嘆かねばならんことになるよ」と教えてくださっています。
私達は、お金や物を追い求め、他人に従い頼って自分を満たそうとして生きていますが、しかしそれら全てのものは遂には当てにも支えにもならないのでしょう。
蓮如上人は「まことに死せんときは、かねて頼みおきつる妻子も財宝もわが身にはひとつもあいそうことあるべからず」と教えられます。死によって離れてゆくものは、もともと私の身についたものではないのでしょう。死の中にも我が身に添い、生の中にも我が身と共に在って、常に私を支えてくださっている確かなものに出遇わなければ、私が私であることに真底安心できず、常に不足不満はまぬがれません。
その確かなものとは、生の中にも死の中にも常に今ここにこの身を生かしめてくださっている真実なるいのち、即ち如来の御いのちであります。
私がこの世に生まれてきたのも、今日あるのも偏に如来のお力に依るのであります。その真に在るいのちを忘れて、外にどれだけ物や人を追い求めても、私の心は真底満たされることはありません。ご友人が「毎日が寂しくて仕方がない。どうしてこんな事になったのか」と愚痴られるその根っこに、「如来を忘れて生きている」という大問題がある。身の不遇を嘆いている思いを破って、その身を支えている生命の大地に立ち帰れ、そしてその身を生きよう生かそうと内から名告り叫ぶ声がある。独生独死の身にこそ喚びかける如来のいのちの声です。
掛けがえのない賜った人生、独り暮らしとなった今こそ、その身を積極的に受け止めて、独立自在、自由奔放に楽しんで生きられたらどうでしょう。私が私に立ち帰り周りに目を向けてみれば、多くの人々や様々ないのちに取り巻かれ支えられていることに気づかされ、自ら賑やかな世界が開けて参ります。
これを御縁にそのご友人を誘って、是非仏法聴聞にお出かけください。
(藤井 善隆)
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