成らぬことを成ると信じているから迷信という~蜂屋賢喜代~
成らぬことを成ると信じているから迷信という~蜂屋賢喜代~
「プラス思考」。広辞苑によると「物事の良い面を捉えようとする前向きな考え方」とある。物事を自分の損得や好き嫌いを離れて、そのままに受け止めると、自分との間に動かしようのない「事実」が自ずと現実として浮かび上がる。結果、歩むべき道が開け、迷わず前に進むことができるのだろう。
だが、私たちはつい、どうにもならない物事を無理矢理に捻じ曲げ、自分の都合に合わせた道を作り出す。これで良かったのだと信じ込んで突き進めば、事実と現実からは次第に離れ、やがて人生という道を見失い、迷うこととなる。プラス思考を「迷信」にしてはならない。
疑は 暗鬼を産み 信は 如来を生む
疑は暗鬼を産み 信は如来を生む
諺に「疑心悪鬼を生ず」とありますが、自分の心に疑いが起こる時、自分の周りを悪い鬼として生み出していくという譬えです。みんな幸せを求めて生きていますが、その幸せの尺度は、他の人と自分とを比べて判断しているのです。物をたくさん持っているけれども、誰かに足元をすくわれるのではないかと戦々恐々とし、却って幸せとはほど遠い生活になっているのではないでしょうか。
「疑心」とは、仏教から出た言葉で、根本煩悩(煩い悩ませる)の一つであり、真理をうたがうということです。この私を、真実の道に歩ませようとする教えを疑うことなのです。如来を生むとは、疑わない心ではなく、疑いようのない真実に出会い、自分の中に信の心が生まれてくる縁となることなのでしょう。