今日一日の実行こそが 人生のすべてです ~平沢 興~
2017年6月の言葉
私は今日、どの様な一日を過ごしたのだろう。今日を振り返り「いい一日だった」と本当に心から歓べるのだろうか。身勝手な未来予想に耽ることと、予想通りにならない事への愚痴に埋め尽くされ、私の今日という「今」は瞬く間に「過去」となる。この過去からは「虚しい今」しか生まれてはこない。自らが積み上げてきた過去を見直すことなしに、今日を満足に終えていくことはできないのであろう。
今私が行うことが必ず「私たちの未来」に作用すると思えるならば、自然とその行いはより丁寧にそして大切なものとなってくるはずだ。今日の生き方が私たちの人生すべてを決定づける。今という責任を生きる厳しさがこの言葉から問われてくる。
聴けば聴くほど おまかせ以外 仕方のない私がわかってくる〜 鈴木章子 〜
2017年5月の言葉
浄土真宗では、聴聞という言葉を大切にしている。言葉の成り立ちを辞典に引くと、「聴」くとは一生懸命にききいることのようで、「聞」くとは無意識にきこえてくることのようである。
さて自分は、どういうききかたをしているのだろうか。家や外では、自分に都合の悪いことは、きかないふりをしている。しかし、自分への悪口などは、耳をそばだててきいている。その時その時、自分の都合にあわせてきいている。
仏の教えにきくとは、身の事実をきくのである。仏法をきいて、賢くなるのでない。どうしてみようもない自分に気づかせていただくのである。おまかせしていくしかない自分に出会うのである。