老いが 病が 死が 私の生を問いかけている ~二階堂 行邦~
2024年9月掲示板の言葉
父の死後、生前の手紙を親しい方から見せてもらった。そこには、「仏様から“がん”という病気をいただいた。ありがたいことだ」と綴られていた。闘病中、次第にできることが少なくなり、住職として、人として、苦悩している姿しか知らなかった私だが、思わぬ形で父の本心に触れた気がした。
晩年、老・病・死という、自分では解決できない現実に直面した父。ただ、周りの人によって助けられ、支えられしているうち、“生かされていた”事実に思い至ったのではないか。
何事も自己中心的に捉え、思いどおりに生きようとする私に、父の言葉は、「それでいいのか」と呼びかけてくれているようだ。
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他人の心を知ることは 何でもない 自分の心を見ればよい ~毎田 周一~
2024年8月
「自分のことは自分が一番わかっている」と誰もが考えている。小さい子どもでもそうだ。小学生と中学生の我が子は、問題が起こると自分が何とか傷つかないよう責任を転嫁し、他人のせいにするのが得意技のようである。注意しても聞く耳を持ってくれないのは、前述の思いがあるからだろう。
さて、かくいう私はどうだろうか。大人になれば変わっているかというと、そうでもない。むしろ、自分自身を見直しているつもりになって、さらに言い訳がましくなっている。
お釈迦さまは、私たちに「自らを知りなさい」と教える。教えに照らされ、見えていない私、知っているつもりの私が、仏さまから知らされる。
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涙は 涙にそそがれる涙に たすけらる~金子 大榮~
2024年7月
書店に行くと「ポジティブに生きる方法」などの啓発本が人気だ。こうした本が好まれる背景には、世の中の成果主義的な考えや、前向き思考を良しとする風潮があるのだろう。それゆえ、ネガティブ思考は好まれず、悩みや弱さを相手に打ち明けるのは難しい。
学生時代、怪我のためクラブ活動を挫折した経験がある。退部せざるを得ない状況の中、努めて明るく振る舞っていたが、心は悲しみに暮れていた。その様子に気づいた友人が、私の代わりに涙を流してくれた時、本当に救われた思いがした。
この言葉は「悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ…」とはじまる。私の悲しみを解かしてくれた友人の涙は、今も私を支えようとはたらき続ける。
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出会うということは出会い続けていくこと~宗 正元~
2024年6月分
「若いころから熱心に仏教を学んでこられ、御歳80を過ぎる門徒さんから「この歳になってようやく、お経に書かれていることが少しずつ分かってきたような気がします」といわれたことがある。正直驚いた。自宅にはたくさんの仏教書が並び、聞法会にも欠かさず参加しているその方の言葉だからだ。
おそらくは、お経の内容を理解するということよりも、学びを積み重ねて仏法がその身に染み込み、出来ることが少なくなってきてようやく、自身のありさまをいただけるようになってきたのだろう。
この方の生涯は、仏の教えを聴聞し、自身に出会い続けてゆくという旅路であり、まさに今、仏道を歩んでおられるのだ。
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一人であって一人ではないのです~高 史明~
2024年5月分
「俺の勝手だろ」。若い時はよく口にしていた。俺個人の人生だ。何かにつけて口出しされるのが堪らなく嫌だったが、その言葉を口にした後には、決まって妙な違和感にみまわれていた。
〝関係ない”と相手を拒絶してみても、私の思いや都合に先立って、何かが、どこかで既に繋がってしまっている。一人で何とかなると思っていても、どうしても他の人に頼らざるを得ない事が必ず出てくる。結局、一人でありたいのに、決して一人になりきることができなかった。
もう一人ではどうしようもないと思った時、あの違和感の正体は、一人でいることのできない、本来の私の叫び声だったのかもしれないと感じた。
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深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある ~平野 恵子 ~
2024年4月分
人生において、よもや自分の身の上に起こると思えないことが突然起こることがある。たとえ、その時、それが抱えきれないほどの苦悩であっても、その事実を身に受けてきた自分が、そのお陰で多くのことを知らされ、いつか人生の喜びに変わる時が、きっと訪れる。
ただそれは、深い悲しみと苦しみを見つめてこそ、見えてくる世界であることを忘れてはいけない。そしてそこに悲しむ自分そっくりそのまま支えてくださる阿弥陀さまのはたらきがあることをしらされるのである。
大切なのは、支え続けて絶対に離すことない阿弥陀さまのはたらきの中に私がいるということだ。
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人間は 助けあって 生きているのである ~司馬 遼太郎 ~
2024年3月分
新年早々、テレビ各局の地震速報は、13年前に発生した東日本大震災を思い出させた。今回も、人と人とが協力し合い、悲しみに寄り添う支援も多く見られている。
私たち人間は、助け合って生きるものであり、一人では生きていけない。社会は、人間が支え合う仕組みとして作り出された。家族に地域、国や世界という社会を生きている。しかし現代はその人間が作ったはずの社会に、人間自身が苦しめられているようにも思える。
震災を通して、日頃、自己中心の考えに陥って、共に生きることを見失っている私自身の在り様を見つめ直す機会となっている。
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一なるものが 道です ~安田 理深 ~
2024年1月分
「みち」という字に「路」と「道」とがある。路は、あれこれいくつもあること、だから迷路ともいう。一方、道はただ一つのこと。だから柔道、剣道、書道と、道を極める時にはこの字が用いられた。
仏の教えも一本の道だが、お釈迦さま亡きあと、幾つもの部派に分かれた歴史の中で、時を超えて伝わる道がある。それが法然上人・親鸞聖人の明らかにしてくださった「念仏道」である。
さて、現代の私たちはどうか。スピリチュアル、パワースポットと数多くある中、あれやこれやと迷路に陥ってはいないか。合掌し、称えるだけで仏と真向かいになることができる念仏こそ、いつでも、どこでも、誰もがであえる「まことの道」だ。
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〝そのうち〟なんて 当てにならないな いまがその時さ ~トーベ・ヤンソン ~
2024年1月分
友人のスナフキンから魚釣りに誘われるも、他の事で頭がいっぱいのムーミン。誘いを断ると、「“そのうち”なんて当てにならないな。いまがその時さ」と標記の言葉が返ってくる。「仕方ないじゃないか。それどころじゃないんだ」という表情のムーミンに、日頃の私自身の姿が重なる。
目の前のことに精一杯で、時間だけが過ぎていく。そんな、不安で落ち着かない毎日である。きっと大切なことを後回しにして、うやむやにしてしまっているからではないだろうか。
私の人生において 本当に大切なことは何か。それをあきらかにするのは、まさに「いまがその時」なのだろう。
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今日という日は 残りの人生の 最初の日である ~チャールズ・ディードリッヒ ~
2023年12月分
薬物中毒患者救済機関“シナノン”の設立者、チャールズ・ディードリッヒの言葉である。
終わりはいつくるかはわからない。人生という旅路は一日一日が初事。昨日の私に帰ることはできないし、明日の私を今、生きることはできない。たった一度きりの人生だからこそ尊い。
そう思ってはいるものの、夜、眠りにつく時「明日の朝、いつものように目が覚めて一日がはじまる」と、何の確証もなく思いこんでいる私。その眠りが人生最後の眠りとなるかもしれないのに。
当たり前が当たり前ではなかったことに気付かされた時、私の人生における“今日”という日は何よりも特別な日に変わることだろう。
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