こけたら 立ちなはれ 立ったら 歩きなはれ ~松下 幸之助 ~
2023年1月分
新年早々に玄関先でこける。降りた霜に足を滑らせたのだ。慌てて雪駄を拾い、履物が悪いとばかりに言い訳をした。不意に出た照れ隠しとは言え、自分の不注意を省みない姿に恥ずかしさを覚えた。
全てにおいて成功したように窺える松下氏だが、成功するためには数々の失敗もしたそうだ。その都度たくさんの協力者によって困難な目的をも成し遂げられたのだ。
私たちも些細な出来事に躓き、失敗を繰り返す毎に落ち込む。あたかも孤立したかのように感じるが、自分の思いが外れただけの事である。阿弥陀さまはそんな私が失敗を得て、より豊かに歩み始めることを願われている。
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求めすぎない 欲なんて きりなくあるんですから ~樹木 希林 ~
求めすぎない
欲なんて
きりなくあるんですから
私たちは、たくさんの“もの”を所有し、それに囲まれている。それでも、新しいものや、より良いものを目にすると欲しくなり、身の回りがどんどん“もの”で溢れてくる。
周りの人と比べて見劣りしないように、つい背伸びをしてまで手に入れてしまう。ちょっとでもおしゃれに、少しでも人から“いいね”って言われたい。
自分への不安や劣等感の裏返しが、こんな形で溢れ出しているのかもしれない。
この言葉の後には「足るを知るではないけれど、自分の身の丈にあったレベルでよしとするのも人生です」と続く。この言葉はすぐに求めすぎてしまう私に、立ち止まるきっかけを与えてくれている。
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不満はね ストレスの素よ 感謝は エネルギーになるのよね ~森 光子~
不満はね
ストレスの素よ
感謝は
エネルギーになるのよね
私たちは人間関係などにより、日々ストレスにさらされている。それは一見、周りの環境によるものと考えているが実はそうではない。原因は私たちの内面から来ていると仏教は教えてくれる。周りをあてにしたり、周りのせいにする心である。あてが外れたり周りのせいにするから、不満は止まらない。
視点を変え、手を合わせ、静かに内面を見つめてみよう。私という個体は、食物、空気や環境、友人、家族…世界全体から整えられていて存在している。それを有ることが難しい、「有り難い」と表現する。居場所はすでに整えられてあったといただくところに生きるエネルギーが湧き上がってくる。あてにするのではなく、尽くしてゆける道が開かれる。
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人生とは 今日一日のことである ~デール・カーネギー~
人生とは
今日一日のことである
人生、善い日があったり、悪いとしか思えないような日の繰り返しである。その全てを受けとめ1日1日を精一杯生きるしかない。それが人生である。では私たちは本当に精一杯、大切に毎日を過ごせているか。「やれやれ」と他人事のように思ったり、「明日がある」と先延ばしにしたり、そんな日々ではないか。
この日常が明日も続くと思い込んでいるうちは、未来ばかり見つめ、過去を忘れ去り、そして「今を見失う」。今をどう過ごしたかが大切にできなければ、一日一日積み上げたはずの人生は結果として空しく過ぎた日々の山積みでしかない。良し悪しによらず、かけがえのないこの一日を大切にする意識が、後悔のない人生を与えてくれる。
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上機嫌は 人が着ることができる 最上の衣装である ~ウィリアム・メイクピース・サッカレー~
上機嫌は
人が着ることができる
最上の衣装である
常日頃から上機嫌でいることは難しい。気分の浮き沈みは人にとってつきものであるが、不機嫌(ネガティブ)な意見や行動を打ち消すのに3倍の量のポジティブな意見や行動が必要だそうだ。また、不機嫌は周りを不愉快にさせるうえに、自分自身では気づけない。思い通りにいかないことに苛立つ自分の姿が容易に想像できる。
人は組織やグループなど、何かに所属し、つながりをもたないと生きていけない。不機嫌な自分でありながら、もし居場所があるのなら、それはひとえに周りからの頷きと受け入れがあるからだ。つながりを生きる中で、和やかな顔でやさしい言葉をもつことの大切さを確かめていきたい。
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多くの人は 見たいと欲する 現実しか見ていない ~ユリウス・カエサル~
多くの人は
見たいと欲する
現実しか見ていない
アフガニスタンで65万人の命と生活を守った故•中村哲さん(医師)は、小学3年生のときに初めて“ハンミョウ”という昆虫に触れて感動した。紺色と赤色の模様が輝く精悍な容姿の昆虫で、初めはとても日本に生息するとは思わなかったが、近所の野山にいることを知り、これまで自分が“見ようとするものしか見えていなかった”ことを実感したという。
ハンミョウは、人間を先導するかのごとく歩く先を飛び跳ねるので、「ミチオシエ」とも呼ばれているそうだ。私たちは普段から、自分の都合の良いことや欲しいものしか見ないという、思いや価値観に振り回されている。一度、自分の脚下を照らされ顧みて、歩みを確かめていきたい。
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苦は時に 予想と事実との 齟齬から生ずる ~蜂屋賢喜代~
苦は時に
予想と事実との
齟齬から生ずる
「齟齬」とは、“くいちがい”のことである。全てが自分の予想通りになるとは、端から誰も思ってはいない。しかし、自分にとって関心の高いことなどが、予想に反した結果になると、その事実を受け入れられず、モヤモヤした気持ちに苦しめられる。人間関係でも、相手に対する思いが大きいほど、くいちがいが生じると「あんな人だとは思わなかった」と恨み節が湧く。
よくよく考えてみれば、自分の都合に立った身勝手な“アテ”が外れただけなのだが、自らの予想が自らの理想だからこそ、素直に事実と向き合えなくなる。詰る所、苦しみの元凶は自分にある、ということなのだが、それが認められない私の根性に、いつもモヤモヤしてしまう。
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自分の番 いのちのバトン ~相田 みつを~
自分の番
いのちのバトン
私たちは、尊い“いのち”をいただいて生かされている。いのちには、量り知れない歴史がある。過去から、無量のいのちのバトンを受けついで、今ここに自分の番を生きている。それは決して、自分が作ったいのちではなく、無数のご縁によって生かされている、全てがおかげさまなのである。
しかし、いつの間にか自分の力で生きていると思いこみ、「どうせ死ぬのだから、どうせ私なんか…」と自暴自棄になることもあるかもしれない。そのような時こそ、お念仏のみ教えに出遇って、「せっかく生きているのだから、せっかくの私なんだから…」と、いのちの事実に気づいてほしい。阿弥陀様はいつも私を見てくださっている。
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心得たと思うは 心得ぬなり 心得ぬと思うは こころえたるなり ~蓮如上人~
心得たと思うは
心得ぬなり
心得ぬと思うは
こころえたるなり
コロナの状況やロシアとウクライナの情勢等、現代は様々なニュースが飛び交う。私たちは、その情報から良い悪いの答えを導き出し、その答えは自分の中で「正しさ」に替わっていく。そして、それを握りしめることで、いつの間にか真実とは遠ざかり、時には人を批判し、傷つけてはいないだろうか。
自分の得た知識や情報を頼りにし、「正しさ」という名の武器で相手を傷つける。それは、分かったつもりになっているだけではないか。この思い込みや勘違いは、自分自身ではなかなか気付けない。「心得た」と思う心は、そこで思考停止に陥ってしまうからである。蓮如上人の言葉は、どこまでも謙虚に学んでいく姿勢を教えてくださっている。
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頭の中のもののために 殺し合うなんて ばかげたことをするのは 生物の中でも人間だけだ ~池田 晶子~
頭の中のもののために
殺し合うなんて
ばかげたことをするのは
生物の中でも
人間だけだ
池田は問う。「人間にとって戦争は本当に悪だろうか」と(『十四歳の君へ』より)。おそらく誰もが「悪」と答えるだろう。池田は、「戦争は共同体が行う排除」と説く。「相手と我々とは違う」という線引きが分断と排除を生み、それが共同体の認識となった時、それぞれの「善」から戦争が生まれるのだと。
さて平素、家庭やネットや近所で、仲間を作ると同時に仲間外れを生み出している私たちはどうなのだろう。分断は常に人の頭の中にある。あいつは嫌い・こいつはだめだと、ハサミのように内なる正義で線引きしつづける人間は、常に小さな排除を作り出しているではないか。この頭の中に小さな戦争がある限り、世界の戦争はなくならない。
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